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あたまのなかみめもめも。

生きるということ

ずっとずっと、生きるということが定まらない。

ゆらゆら、ふわふわと生きています。

 

そんな自分の心の整理のために、ちょっと筆を執ってみるのです。

 

あのね、

ゆらゆらしているなりに、色々やってみたのです。

 

一般的に言われる『正しい生き方』もしてみたし、

真逆の『楽に生きる方法』もやってみた。

 

企業に雇われて生きることも、

逆にフリーランスで働いてみることも。

 

自分の稼ぎで遊び倒すことも、

人のお金に頼って生活することも。

 

無駄モテしては、毎日リア充っぽくイベントを詰め込んでみることも、

ひたすら毎日家でごろごろすることも、

 

成功者と呼ばれる人に教えを乞うことも、

底辺を自称する人に話を聞くことも、

 

女を捨ててがむしゃらに働くことも、

女を武器に余裕をもって働いてみることも、

 

精神疾患アダルトチルドレン・自己公定力の低さを疑ってみては、

精神医学からスピやら自己啓発やらに片足突っ込んでみることも、

 

国内・海外を一人で旅することも。

 

 

なんにもやってないなあ、と思うけれど、

羅列してみると結構何でもやってみてたね。

 

繰り返した果てに思うことは、

びっくりするほど月並みにおもう、

「人生に正解なんてない」

の一語だということなのです。

 

 

 

世の、プロモーションの上手な人はすべからく

「好きなことをやれ」「楽しいことをやれ」「遊べ」「リッチに生きろ」

それこそを人生の覇者の大正解・大定義のように申しますが、

 

私の場合、やりたくてやってたことも、好きでやってたことも、

過ぎ去ってしまえば一つの記憶でしかなく、

「あー、そんなこともあったね」終わり。

 

ほんとうに幸せだった記憶って、意外となんでもない所に潜んでいて、

 

寂しい夜に慰められる記憶と言えば、

好きな人と半分こして食べたパンケーキの味だったり、

優しく優しく、なんでもない夜に髪を撫でられて愛された記憶だったり、

こんなにもニートなので、散々に文句言いながらも「晩ごはん出来たわよ」って、

好きなものを作ってくれたりする母親の優しさだったり、

 

 

もう全部が虚無!死にたいよー!ってなったとき、

ふっと思い出して、いやまだ生きてようかしらね、と火がともるのは、

小学校の頃に夜中、海でこっそり泳がせてもらった時、

夜光虫がぶわーっと寄って来た、あの最高に嫌悪感覚えた瞬間とか。

 

アメリカで就職について悩んでいたとき、

お互い言葉も分からないのに、筆記+辞書を駆使して

なぜか熱く相談に乗ってくれた美術館の職員さんの笑顔とか。

 

つまり、期待していなかったからこそ得られる

「純度の高いなにか」こそが愛おしくて。

 

 

 

業績で一位を上げたことも、お金いっぱい稼いだことも、

仕事で褒められたことも、楽して割の良い仕事してたちょろい日々も

社会貢献について考え実践していた充実感も、

値札を見ずに百貨店で買い物したことも、

男の人にちやほやされたことも、美人だねと褒められることも、

たくさんの楽しかった遊びも、

 

世に言われている「成功」や「正しい」ことなんて、

私の人生にとっては何の慰みにも宝物にもならなくて。

 

死ぬ前に思い出すのはきっと、いつだって、

優しいこと、愛情を感じること、生きてる!と肌身で実感できたこと、

きっとそればっかりで。

 

「楽しい」や「賢い」は、

私にとって経験と知識を増やしてはくれたけれど、幸せにはしてくれなかった。

 

 

身を削る様に熱中できるものも無ければ、

楽しいことだけで満足して生きていくこともできない。

だからと言って、賢く生きてみたって虚しい。

 

みんなが良しというものに、同等の価値観を見いだせない。

そのことが何よりも自分の「人間としての意義」を揺らがせる苦痛。

 

何をしても生きることに迷い苦しむ人のなかには、

わたしの様な価値観の人間が、きっといると思うのです。

 

人目を気にするとか、幼い日々の原体験が、とか

もうそう言う話じゃなくて、本当の本当は、究極のところ、

「こんなにも人間に馴染めず謳歌もできない自分が、人間として生きてて良いのか」

という、曖昧で終わりのない苦痛。なにをしても擬態し続けてる感覚。

人間失格、という自分で付けてしまう烙印。

 

仕方ない。仕方ないの。

 

この認めたくない現実を、腹括って受け止めなきゃいけないの。

 

だってね、多分、何をしててもいいのです。

究極的にしたいことなんて、ないの。きっと。響かないよね、仕方ないね。

 

 

哀しいけれど、認めるしかない。そういう人間なんだなということ。ね。

 

そうやって諦めたら、見える景色が変わるんじゃないかなあと期待して、

今日も街に出ていくの。